気が気でなければなんなのさ

揉んでも硬くなるばかりでどうにもならぬことだってあるのだ

日記181019

たまには関西弁で文章を書いてみたらどないや、と誰かが言っていたような気がしたけれどもここ最近で話した人間なんてdiscordの向こうの高校時代の友達かコンビニ店員くらいしかおらんし、誰もそんなこと言うてへんのやけども、たぶんこれは川上未映子を読んだ影響やなみたいなことを思いながら、ほんならいっちょ書いてみましょかということである。方言は口の、音の言葉であるからこういうのを書くともしかしたらラジオの書き起こしみたいになるかもしれへんし、そういえば今年は主にアトロクの影響やけどもラジオを多く聴く年やった、そもそも前から寝る前には文化放送A&GとかSZBHをきいとったし、それは去年どうにも睡眠に関して問題を抱えていた時期に、聴き流しても何の影響もあれへんような会話を流していると、つまり積極的に気にしないことを求められるような言葉がそこにあると、むしろ音楽を聴くよりもよく眠れるということに気づいたからで、こんな文章も読み飛ばしてもらったらええんかもしれん、俺は寂しいけど。

やっとアニメのテレビシリーズをギャンと観たり、漫画を読み返してみたりする元気が出たのはこの間ソファベッドを買ったからで、それまでは部屋の中でリラックスした姿勢をとるのさえも少し難しかったから脳を動かすにもそれに適した姿勢があるもんなんやなとか思って、それと一緒に空気もどないかしてみましょか、と思ったんで、マッチの匂いが好きだったりおばあちゃん家の仏壇を思い出したりできるような気もしたのでお香を焚いてみたらええ具合なんやけども、これ窓開けてへんとホンマに空気悪なるからこれからの季節ちょっと難しいかもわかりません。で、窓を開けてみたら昨日のラジオの天気予報でも少し寒なるよと言っていた通り気温が下がっとってなんであれば少し冬の匂いみたいなんもしたから、季節の匂いってあると思うんやけど、それ好きかといえばまあ大好きな部類の感覚ではあるもんなんやけど、どうしても時間が経つたびにセンチメンタルになってしまう凡庸な感性の持ち主は複雑な気分にならざるを得なくて、しゃーなし最近ついにちょっと禁煙してたのを中断してそないな雰囲気の中で煙草を吸っておったら目の前に蜂みたいな生き物がおって、飛んでおったらこちらも警戒せなあかんのやけどもそいつがずっと地面のおなじところをぐるぐるぐるぐる回っておるんで、何や東京の空気はやっぱり悪くてどっかおかしくなったんかそれともなんか悩みでもあるんか、聴かせてみいといってもなんも喋られへんもんな君は、と思って眺めていると城崎にての主人公はこういう気持ちやったんかなということをほんのり思わなくもなかった。そんなん言うてもぼくは致命傷を負ったことも現状死の雰囲気がどこにあるというでもなく、僕の代わりに好きなミュージシャンが癌を持っていることを告白していたので、まだ若いし彼女が今なくなるのは僕が死ぬよりはるかにたくさんの人が悲しむ、なにより僕もめちゃめちゃ悲しいし、そんなん比べるもんでもないんやけども、癌が死の病とは言われなくなった世の中でよかった、医療の進歩バンザイと思う。仮に彼女が生きながらえたとしてもしかしたら病床の中で心境の変化があって音楽どころではなくなったり作風が変わるかもしれないし、変わらないかもしれないと思いながらBathsの来日を楽しみにしていたり、星野源が病気で倒れてた頃の曲を散々聴いている。このタイミングで文章やとやっぱり方言は抜けますねと思い直している。

死に追いかけられつづけると云えばまあちょっと機会がありバナナフィッシュの漫画を全部読むなどしたが、これがまあギャングもののサスペンスであり、やく20巻分に渡ってずっと頭のおかしいヤクザ者に命を狙われ続けている、サスペンスがどうしても苦手というのがあってゲームであれば「こっちに操作権を渡すな、ムービーで起こった危機はムービーの中でどないかせえ」と思ってしまったりするところがある、一難去ってまた一難の感覚がやっぱりなかなかどうして苦手であって、それはなんでかというともしかしたらあの暴力のはびこる小学校でいじめっ子が幅を効かせる中油断したらすぐ殴られるんで居場所がなくなってしまったような感覚に似ているのかもしれない。安住の地を求めたいものである、痛いのは本当に嫌。極楽浄土。

というんで魔法少女まどかマギカを観たけど最後の方は仏のことばっかり考えておって、後から調べるとそれは割とメジャーな考えであったというかそういうことを考えてるお坊さんまでおるんやというのでビックリしました。11話あたりからもう般若心経と「非ゼロ和ゲーム」をだれか誰でもええから、できればエビスビーツと堀込高樹がええけれども、とにかく高らかに叫んでくれと思っているとホンマに最後の最後でまどかが成仏したので笑ってしまったというのまである。叛逆は愛の話で、愛というのは厄介なものでトランプを当選させたりもすると東浩紀宮台真司が対談で言っていたのを思い出したりしていた。ポストトゥルースや。いまはもっぱらソウルジェムの仕組みとかが気になっている。

世の中寂しかったり怖かったり悲しかったり忙しかったりでホンマしんどいことばっかりやわと思っている時にミシェルカミロが2008年にドイツで演った「チュニジアの夜」の動画を見るとドラマーがホンマにメチャメチャなソロをやっていて元気が出る。ジャズとかバトゥカーダとか、まあヒップホップでもええねんけどなんであんなに打楽器の音が並んでいると気持ちがポジティブになってくれるんやろうと思いながらよりにもよって「セッション」を観た、ホンマに嫌なおっさんが出てくるし死ねと思うけど音楽がジャズなのでそういうところは救われるし、最後魂を売り渡すのも何かしらの納得というか、ウンムウンムと思いながら観ることができる、スポーツとか軍事モノやったらホンマにブチ切れてるんちゃうかなと思う。うそです。あたしはそんなに心の狭い人間じゃああらしまへん。海のように広い心、茶箱のソファのように深くてふかふかの愛。ピース。