気が気でなければなんなのさ

揉んでも硬くなるばかりでどうにもならぬことだってあるのだ

日記180820

平気で二週間近く日記をつけるのをサボる阿呆である。

ゲームをやろうと思い立ちPS4を買った。前からやりたいものはたくさんあった。デトロイトビカムヒューマン、メタルギアソリッド、ニーアオートマタなどなど。Netflixアマゾンプライムも見られるし、ブルーレイだって再生できる。機を見てTVチューナーでも買ってみようかと思っている。なお一番本命だったソフトというか、購入の決め手になったのはデス・ストランディングである。どれも一人用のゲームであるためあんまりみんなでワイワイという感じではなく、まあかろうじてフォートナイトをやったりはしているものの、という状況である。

10年以上ぶりにゲームを触って思ったが、今のゲームの登場人物は皆銃を握っている。わたしも持っているし、彼らも持っている。銃撃戦は日常茶飯事であり、わたしはこれを頗る苦手としている。

去年末からお正月にかけてプレイしたアンダーテイルは素晴らしいゲーム体験であった。やはり自分の手でストーリーを推進させていくゲームには小説や映画にはない独特の感覚があると思ったものである。問題点は自分が動かねばストーリーが進まないどころか、だいたいすぐ死んでしまうのでストーリーの進めようがない場面に度々遭遇するということで、とにかく3D世界でのゲーム感に早く慣れねばならない。PS4の最近の売り文句は「できないことができるって、最高だ」なのだが、やっぱりできないことをやるにはそれなりに時間と労力を掛ける必要があり、こういうところがストーリーを進めたい欲求と天秤にかかっているのであるなと思う。ゲームはそもそもUIの塊だが、この辺の感じはユーザ登録フォームの設計と似ているのかもしれないとも思う。後者は難易度がごく低く設定されているものである。

とにかく時間がない。音楽もNetflixもゲームも本も見たり読んだり作ったりしたい気持ちは山々なのだが、如何せん生きるための時間も体力も限られているのだ、ということを改めて強く感じている。

ゼロ・グラビティ」を見て強く、あらためて強く思ったのだが、やっぱりどうもスリル・ショック・サスペンスのたぐいが苦手なようである。SFやゲームのストーリーにおいて語られていることは好きなことが多いが、どうもそれにたどり着くまでの躊躇いが強く、これはたぶん昔からそうであり、目下の苦しみである。せめてゲームでくらいイージーモードでいたいものだが、たまにイージーモードでは見られないエンディングがあったりするので難儀である。