気が気でなければなんなのさ

揉んでも硬くなるばかりでどうにもならぬことだってあるのだ

日記181009

布団を買い換えると一緒にうっかりソファベッドを買い生活がいい感じになっている。1万円少しで家に超快適な読書スペースを生成できるし、机の上に置いたモニターを見るにもちょうどいい。あと5年間上で寝続けてへたれてぺなぺな、万年床として風通しの悪い我が家に鎮座していたせいで菌糸類の森、生命の小宇宙と化していた旧敷布団氏のかわりに寝床をふかふかにしてくれる。

10月の日差しにどのくらいの紫外線殺菌パワーがあるのかはよく知らないが今回の敷布団氏には長いことできるだけ長いこと頑張ってもらおうと思い晴れた日はちゃんと干すことにしており、あったかいうちに取り込めばいいものの日々のリズムのダメダメさがたたって昼寝から眼を覚ますとすっかり日が暮れている。寝ることと寝ぼけることで日々を使い果たしていくのは本当にいけない。とにもかくにも冷え切ってしまうために布団を取り込もうと思い集合住宅の玄関を抜けてベランダ風の空き地としか言いようのないマンション1階の物干しスペースに出るとまるで高円寺あたりの居酒屋かもしくは中華料理店のような親しみやすい匂いが漂ってきてはてさてそんなナイスなスポットがこんな近くにあるのかというかこんなに匂いが強いってどういうことだよと思うと同じく一階の別の部屋の玄関から炊飯器が覗いていて一気に生活という感じがしてくる。テレビの音が漏れている。玄関のドアにサンダルが挟まっていて開きっぱなしになっている。別にまずいものを見たわけではないのだがなんだかまずいものを見たような気持ちになり目をそらしたいがそらしたくなくしばらくきらんとひかる炊飯器のボタンのふちの部分を眺めて、金属の振りを一生懸命しているおそらく金属ではない光沢がこうして人の目を惹きつけるのに一役買っているのだなというのは後から気づいたことである。

宗教の勧誘が最近近所をよくうろついておりうちにもここ1週間くらいで2度もきている。そういえば毎日近くの駅前にもいるので近くに拠点があるのかもしれない。入り口として聖書を紹介するのは果たして布教するうえでいい手なのかよくわからないけれども、とにかく聖書推しであり、そこまで言うんなら仕方がねえ読んでやるかなどとは微塵も思わなかったがAmazonKindleストアで十円になっていたので漫画版の新約聖書旧約聖書を読んだ。大学三年の時に教授がユングの神話と物語分析を紹介していたのを思い出した。もっといえば祖母がカトリックだったので実家には新約聖書があったのだけれどもそれにはついに手が伸びなかったなと思う、たいへん字が小さいし、地下鉄サリン事件の年に生まれた感じの宗教観がなんとなく染み付いていたからという気もする。モーセ十戒は世界史の授業で習ったなと思う。「マスター・オブ・ゼロ」の主人公の家には大きくて立派な装丁のクルアーンがあったけれども、もしかしたら我が家は日本では少し珍しい「聖典のある家」だったのかもしれない。