気が気でなければなんなのさ

揉んでも硬くなるばかりでどうにもならぬことだってあるのだ

日記180821

平日はだいたいジェーン・スーの生活は踊るを聴くようになった。12時台の「相談は踊る」が面白いためである。各々が生きており、幼少期から今に至るまでの発達などがあり、その中でなにか歪になった部分を抱えている様子が大変ラブリーであり、人の人生を面白がっているような気がうっすらしながらもどうしても聴いてしまうのであった。

今日は「親友の様子がなんだかおかしい」という相談だった。親友、ぱっと人の顔が思い浮かばない言葉である。理由は様々考えられる。子供の頃から親が転勤を繰り返していたため、学校を卒業し環境が変わるたびに誰もいないところに行っていたため。そもそも学校内ではほとんど独りだったため。なんであれ人間と深いところまで関係を築く機会を得られていなかったように思う。

不思議とコンプレックスみたいなものはない。こういう事があるとふだん自分に人間として欠落している部分があるように思えていささか落ち込んだり苛立ったり、正直割としてしまう質であるのだが、そのところあまり自覚症状は現在のところない。が、ああ「親友」と呼べる人がいる人間もいるのだなあ、とおもったところどんどんこの二文字が気になってググってしまったりなどする事態である。検索結果は惨憺たる状況である。

なんであれ早々簡単に自力でどうにかできる状況ではないので、休み休み考えつつ見守っていくほかあるまい。