気が気でなければなんなのさ

ゆとり世代就活生のどうにかなっていくか、もしくはどうにもならない様子。キタガワは母方の旧姓。

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 綿矢りさのインストールはまあ結構好きだけど、また別の話。

 どん詰まりの就活をしばらく続けてきたけれど、ついにひとを頼ることを少しずつ覚え始めて、それが良かったのか少し風向きが変わってきたというか、どん詰まりっぷりから少しだけ光が差したような気もちになってきている、またそれによっていままでとは別のジャンルの苦しみが発生しており、それはそれで苦しい。

 簡単に言えば、就活のプロとでも言うべきお方に「面接の攻略法」をインストールされた、ということである。大きく分けてふたつ、片方はあまり難しい話ではなく、というか普通に「それは前提として飛ばしても良くないですか」、ということでもあったことで(飛ばしてはいけなかったわけですね)、もうひとつは「いやーその考え方はちょっと苦手です、わたしにはちょっと嘘をつかないとできないな」ということである。要するに嫌いな考え方であり、性に合わないものであり、まあ自分の中で割り切れ、というお話ではあるもののそういう発言をするにあたっては些か苦痛を伴います、というものである。

 まさかなりたい自分になるために、一番なりたくないものにならざるを得ないとは!

 最近わかってきたことのひとつに「どうやら割り切りと開き直りのロジックを構築するのは早いが、それの実施に非常に体力と精神力を使うためやすやすと出来ず、うだうだしてしまいがちらしい」ということがあり、まあ時期も時期なのでそろそろ腹を決めざるを得なくなってきてしまったというか、様々に布石を打った後に最初で最後のチャンスが来てしまったというか、そういえば今年の初詣のおみくじにも「仕事運:時間はかかるが成し遂げる」とあったし、最近はスーツで外に出てもひどい気もちを起こさない程度の気温が続いていてありがたく、天の神様もそろそろ味方についたらしいぞ、それにこうして時間をかけないとこういったことができないのはそれはそれでなんだかわたしらしいじゃないか、と思うなどしている。このくらいのほうが少しドラマチックでもあるし。

 悪癖を矯正するにあたっては大変な苦しみがついて回るものであるなあ、とあらためて実感する次第である。

 しかし悪癖、多くの場合において鎮痛剤として優秀なのだ。大変な苦しみがついて回るというのもモルヒネをキメすぎてだるだるになっていたところを無理やり更生施設に入れられたようなものであるので当然であり、というかどちらかと言うとシャブを突っ込んで無理やり動いている状態なのでこのままでは確実に色々ぶっ壊れるというかうつ病になること必至であるので、本当に一時的なものとして終わったら即アンインストールせにゃならんなと思っている次第である。インストールされたウイルスに反応して頭の中のノートン先生が先程からやかましく、最近はずっと用事がない時は絵を描いたり楽器を弾いて歌ったり人とLINEしたりしてCPUを無理やり食わせている。ピアノうまくなると良いけど。

 コレで無理だったらまあ母親が先日送ってくれた手紙にもあるとおり「人間できることとできないことがある」ということなのかなともおもう。わたしはコレを読んで久しぶりに少し涙を流したものである。

 最近一番良かったのは適当に思い立ったタイミングで高円寺にあるシーシャ屋に自転車を飛ばしたことです。薄暗めの照明に内心文句をつけながら本を開いてこぽりこぽりとやるのが楽しかった。今度は少しだけお酒持って誰か一緒に行きましょう。