気が気でなければなんなのさ

ゆとり世代就活生のどうにかなっていくか、もしくはどうにもならない様子。キタガワは母方の旧姓。

祈り

 祈られました。

 メールが来た時は思ったよりショックじゃなかったし、初めての面接だったしこんなもんかなーとか思ったりなんかして、就活は死に覚えゲーなんてのもいうし、まあ明日から連休も始まるし気もち切り替えて曲でも作ろうとおもって、その前に昼食の買い出しに行って帰ってきたらどっと疲れて横になって太陽が沈んだ。晩には鯖の塩焼きを食べたのでワンルームが魚の匂い。

 杉並区の端っこ、あちらに歩けば世田谷区、もう少しいけば渋谷区。反対に歩けば中野区。最寄りのコンビニに行く途中にできたばかりのマンションがあって小綺麗、毎日のように引越し屋のトラックが停まっている。きっと家族を連れて東京23区内にやってきたのだ。お父さんお母さんと手を繋いだ子ども、幸せな都会の家族像。きっと5月の連休には電車に乗って井の頭公園や新宿御苑で緑と触れ合ったり、上野の博物館や科学館に行ったり、遠出して富士登山なんてこともあるだろう。

 「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」という「ゼクシィ」の見事なコピーがついにでてきたように、わたしは結婚だとか家庭だとかそういうものをあんまり有難がる性格ではないな、ということを高校生の時ぶりに会う友人が就活を終えて「早く結婚してぇ〜」と言っていたのを聞いておもった(しかしゼクシィはあの憎きリクルートの発行物である、決して許してはならない)。子どもができることに関してはむしろ否定的というか大いに恐怖、忌避していると言ってもいい。どうにも現世を生きるというのは喜ばしいことではないように思えるな、というのがここ20年余りの様子を見てきての感想であり、他人の比較的過激な言葉を借りて言えば、「存在させること、虐待なのでは?」である。わたしはなんだかんだでこの言い方を気に入っている、おおいに。

 課題。

 他人の前に自分の心配をしなくてはならない。わたしが落とされた一次面接では一般的にその人の印象とか、まともなコミュニケーション能力があるかどうか、といったようなことが見られるという。皆までは言わないが、しかし面接で、スーツで背筋を伸ばして座って、初めて話す大人と向き合うというある種の極限状態で果たして印象とかコミュニケーション能力といったものをちゃんと取り繕えるかといえばこれは至難の業であるような気がする。死んだ、覚えた、じゃあ次どうしよう。

 今日はプレミアムフライデーというのであるらしく、わたしもあしたから一週間あまり暇になるが学生最後の5月の連休に全く予定がない。無理矢理にでも起きて映画を見るなりブックオフに行くなりした方がいいだろうか、そんな気力は起きてくれるだろうか。飯を炊くギリギリまで食器を洗わないのはいつものことだが、相変わらず昼前まで寝る癖は治らないし、曲はできないし、去年のこの時期より明らかに思考が鈍くなって考えることの面白みが減っているのが考えものであるなと思っている。SNSでは皆大きな音で音楽を聴いたり美味しいものを食べたりしていて楽しそうである。実際楽しいのだとおもう。

 まあぼちぼちやります。