電視台
電視台なんて言い方痛快明石家電視台でしか見たことないわ。
最近テレビ見てる。「デザインあ」とか「漫勉」とか、適当に流れてくるニュース、アニメ、特にNHKの三月のライオンとかノイタミナ枠とかのあんまりネットでやってないやつ。今朝はプリキュアやってたみたいだけどリアルタイムでは観てない。7年ぶりに高校生プリキュアが誕生したらしく皆大騒ぎしてたのはTwitterで見た。
先週の予告に「気まぐれお姉さま」の字があった時点で勝利は約束されていたのだ
— 無慾 (@_fuux) 2017年3月5日
あんまり子供時代にテレビ見て育ってこなかった。毎年繰り広げられるおもちゃ戦略を嫌う、というか何度も「そんなのは子供だましだからやめなさい」と繰り返す親の空気を敏感に察知したわたしは戦隊モノもウルトラマンも自らすすんで観ることがなかったため高校体育の剣道の授業では「ザ・体育会系」みたいな体育教師に竹刀を握らされながら一撃も繰り出さずに非暴力不服従を貫くマハトマ・ガンディーばりの平和主義者に育った。たぶんその反動というか、「世の子どもたちは何観て育ってるんだろう」という興味から子供向け番組をよく観てる。「デザインあ」が一番すごいと思う。えーっこれ観て今の子供育ってるの、20年後はみんな眼鏡にあごひげ生やしてロング丈のカーディガン着た「都内在住・デザイナー・27歳」みたいになっちゃうよ。そういう格好大好きだけど。三月のライオン実写版の高橋一生いいとおもいます。
この間斎藤環の「承認をめぐる病」を読んでついにハッキリしたけど、ほんとうにいまの教室では「キャラ」で人間が存在しているというか、ギャラも出ないのにみんなバラエティ番組の真似事やってるな〜ということを高校のときはよく思ってた。関西だととくに吉本新喜劇の影響が支配的でほんとうに大変だ。大学に入ってから教室の風通しが抜群に良くなってだいぶ快適になったけど、それでもやっぱり誰かを「いじられキャラ」認定しようとする人間はいたし、でも文学部だったのが大きいのかもしれない、みんななんかそういうのに対するセンサーがあって距離を取る選択肢がぜんぜんふつうに存在してたところがよかった。
「いじられキャラを生み出した罪」ってのは結局大きくて、「いじられキャラ芸人は結局そのポイントを商売道具にして飯食ってるからいいじゃないか」って人もいるけどそうじゃなくて、テレビ見てみんな育つからそのコンプレックスと別の付き合い方をしてるひとも容赦なく不本意な状況に晒されちゃうよな、と思っている。「いじめ」に対して「いじり」のほうが共犯関係にあってものごとが内面化されるぶんたいへん、といのは「りはめ」でしたね。トランプが好き勝手言うのが仮に戦略で演技で、大統領に就任してから落ち着きはしても巷の差別主義者が元気になっちゃってたいへん、というのに似ている。
ところでこの間いろいろな大企業のちょっと変わった採用試験を紹介する、という番組をやっていて、「日本を支える企業に必要な才能は〜?」と言っていたのが気になった。能力じゃなくて才能。「潜在能力」なんて言い方もテレビ好きだけど、「頑張らなくてもなんとなく自分の中に黄金が眠っている」「俺にはあってアイツにはない」というニュアンスがひっそり出ていて、みんなが好きなものを提供できててイイカンジだな〜と思った。
全体的に何がいいたいかがブレブレになってしまったけれど、FLOWの「GO!」をカラオケやアニクラで聴いてみんながワイワイしているのについていけなくて寂しい、というお話。