気が気でなければなんなのさ

ゆとり世代就活生のどうにかなっていくか、もしくはどうにもならない様子。キタガワは母方の旧姓。

喰いモノの話をしない

喰いました。年を。

 手に職つけることを「ナントカで喰っていく」という言い方をするように、エネルギー保存則にギチギチに縛られているわたしたちはどうにかモノを喰って肚をふくらかしていかねばさもなければ死ぬ。いや、どうやら世の中には肚の中に飼っている細菌にエネルギーを発生させ本人は仙人が如く霞を喰って生きている強者もいるようであるが、現代社会に絶賛飼い殺されてありとあらゆる化学物質添加物その他もろもろが染み付いている俗世の人々には到底できる真似ではなく、なんなら小学生の時分よりいくら喰ってもBMIがいっこうに「痩せ気味〜痩せすぎ」の域を出ないわたしは幾分燃費が悪いとさえ言える。困ったことである。何より困ったことはどうしても、食べることも飲むことも嫌いと言えば嘘になることである。日頃から死にたい死にたいと言っていても空腹で死にそうな時にほかほかの白飯が、温かいお豆腐の味噌汁が、いやコンビニのおにぎりが、カロリーメイトが、金平糖でさえも食べ物と認めれば己が腹中に収めんと欲するだろう。なぜかと言えば死にたくないからではなく、つらいおもいをしたくないからである。

 つらいおもいを依然としてし続けている。

 小林大吾も「余程待ったと言わにゃなるまいよ時間ばっか喰って腹も膨れねえ」と「あとがきにかえて」で言っていたし、なんなら喰えば喰うだけ腹は減るばかりである。相も変わらず何で喰っていくかの目処も立たぬ儘去年の誕生日から1年が経って年を喰ったがやっぱり腹は減る一方で大弱りである。書類で落ち面接で落ちテストで落ち、グループディスカッションとプレゼンテーション付きの面接を通ったと思えば最終面接で落ちた時が一番弱り、次の日は半日は布団から動けずもう半日は現実逃避に只管打ち込む羽目になった。就活していれば書くべきエピソードはいくつでも転がっているだろうと思ってブログをはじめてみたが(もう四ヶ月も経っているぞこの阿呆)まさか精神が弱るとモノを書くどころか読むのも儘ならないようになるというのは誤算であった。

 世間では大学生の内定率が8割に迫っているという。内定どころか卒業もいささか心配になってくる状況だが、はたして。

祈り

 祈られました。

 メールが来た時は思ったよりショックじゃなかったし、初めての面接だったしこんなもんかなーとか思ったりなんかして、就活は死に覚えゲーなんてのもいうし、まあ明日から連休も始まるし気もち切り替えて曲でも作ろうとおもって、その前に昼食の買い出しに行って帰ってきたらどっと疲れて横になって太陽が沈んだ。晩には鯖の塩焼きを食べたのでワンルームが魚の匂い。

 杉並区の端っこ、あちらに歩けば世田谷区、もう少しいけば渋谷区。反対に歩けば中野区。最寄りのコンビニに行く途中にできたばかりのマンションがあって小綺麗、毎日のように引越し屋のトラックが停まっている。きっと家族を連れて東京23区内にやってきたのだ。お父さんお母さんと手を繋いだ子ども、幸せな都会の家族像。きっと5月の連休には電車に乗って井の頭公園や新宿御苑で緑と触れ合ったり、上野の博物館や科学館に行ったり、遠出して富士登山なんてこともあるだろう。

 「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」という「ゼクシィ」の見事なコピーがついにでてきたように、わたしは結婚だとか家庭だとかそういうものをあんまり有難がる性格ではないな、ということを高校生の時ぶりに会う友人が就活を終えて「早く結婚してぇ〜」と言っていたのを聞いておもった(しかしゼクシィはあの憎きリクルートの発行物である、決して許してはならない)。子どもができることに関してはむしろ否定的というか大いに恐怖、忌避していると言ってもいい。どうにも現世を生きるというのは喜ばしいことではないように思えるな、というのがここ20年余りの様子を見てきての感想であり、他人の比較的過激な言葉を借りて言えば、「存在させること、虐待なのでは?」である。わたしはなんだかんだでこの言い方を気に入っている、おおいに。

 課題。

 他人の前に自分の心配をしなくてはならない。わたしが落とされた一次面接では一般的にその人の印象とか、まともなコミュニケーション能力があるかどうか、といったようなことが見られるという。皆までは言わないが、しかし面接で、スーツで背筋を伸ばして座って、初めて話す大人と向き合うというある種の極限状態で果たして印象とかコミュニケーション能力といったものをちゃんと取り繕えるかといえばこれは至難の業であるような気がする。死んだ、覚えた、じゃあ次どうしよう。

 今日はプレミアムフライデーというのであるらしく、わたしもあしたから一週間あまり暇になるが学生最後の5月の連休に全く予定がない。無理矢理にでも起きて映画を見るなりブックオフに行くなりした方がいいだろうか、そんな気力は起きてくれるだろうか。飯を炊くギリギリまで食器を洗わないのはいつものことだが、相変わらず昼前まで寝る癖は治らないし、曲はできないし、去年のこの時期より明らかに思考が鈍くなって考えることの面白みが減っているのが考えものであるなと思っている。SNSでは皆大きな音で音楽を聴いたり美味しいものを食べたりしていて楽しそうである。実際楽しいのだとおもう。

 まあぼちぼちやります。

さまよえる三日坊主

 どっこも彷徨ってなんかいないわ。ずっと家にいるの。

 3月1日に就活情報が解禁になってみんなビッグサイトやなんとかメッセやありとあらゆる合同説明会を駆けずり回っている間わたしは呑気にブログを開設したりしていて、まあ無理にでもそこそこの頻度で更新しようなんて思ったりしていたのが三日で途切れた。三日で。

 別に何をしていたわけでもないというかできなくなってしまって、ぜんぜん他のブログなんかも更新してない。「タスクがあんまりにもたくさんあると目詰まりを起こして何からやっていいんだかわからなくなる、そういう時はとりあえず手をつけてひとつずつ詰まりを取り除いていくしかないんだ」みたいな文章を見て、そんなんわかってんだよわかってるんだけどできねえんだよみたいなことをおもいながら、まあ同じ怠け者でも聖性くらいは身につけておいて損はないでしょう、高校の最寄りのスーパーの、寂れに寂れて虚無感がむっと薫る本屋で「聖なる怠け者の冒険」を買って読んだ。

 ホームシックなんです。

 家にいたら人がいる。御飯が出てくる。第一志望にはいけなかったけど妹がいる。電車に乗れば京都に行ける。駅は遠い。一番いいスピーカーは低音の出が微妙で曲を作ってちゃんとしたスピーカーで確認すると必ず変な帯域がぼわんぼわん鳴っている。時間の流れがゆっくりで遅くてのろまで単位時間あたりのため息の数が増えて、でもため息ってつくと時分は少し身軽になったようなきがするので好き。

 仕事をした。音楽だって捨てたものじゃないですね。捨てたものじゃないなんてわかってるから結局鍵盤を弾くことと毎日アレコレ聴くことだけは続けてきたし、そろそろ服買わなきゃと思っていても食事が1日2回になってもまだなんとか続いているんだけれど。そういうなかで珍しく、音楽を作るとお金がもらえるお話がきたのでやらせてもらった。メールで仕様と要望を聴いて作業をするのはイカにもビジネスという感じがした。でも今回やり取りした相手も音楽作ってる人間なのでビジョンの共有がすごくうまく行ってて、快適だった。

 早起きの快適さについてはそこそこ良く知っているつもりだったのに、11時位まで寝てしまうようになったのはちょっと参った。起きたら諸々のことにかからないといけないと思うと滅入ってしまって、現実逃避に二度寝してしまうことが多くなった。授業を受けおわるまでは何もしなくてもいいと思うと流石に授業がある日は起きられた。月曜の1限に意気揚々と出てみると秋学期スタートの授業で誰もいなくてすごすごと帰った。日本の通勤ラッシュはクレイジーねと思った。初めてだったので。

 人と話すと元気になる、と思った。井の頭公園に桜が咲いている中を散歩したり餃子を食べまくったりレコード屋を回ったり飲んだり美味しい中華の炒め物とビールを飲んでいい感じに酔っ払ってしまって「幸せだなぁ幸せだなぁ」と言ったりした。お酒のいいところは諸々の感覚が曖昧になって自分がどういう状況なんだかほどほどに麻痺するところです。

 数日だけカラ元気が出て就活の作業が進む日もあった。ご飯を食べずに日中作業していると一時的にハイになってやったろやないかい阿呆という気になった。今はその時に入れた説明会の予約で今月の予定がたくさんになりうげえと思っている。とにかくモチベーションというか、使えるエネルギーがカラ元気しかないという状況なのでエンジンの掛かりにムラがあってすごく酷い。

 

 

 現実逃避に余念がないので今日はずっとコーチェラ観てる。ハードオフビーツも観た。レディオヘッド音めっちゃ止まってるけど頑張ってくれ。好きです。

電視台

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 電視台なんて言い方痛快明石家電視台でしか見たことないわ。

 最近テレビ見てる。「デザインあ」とか「漫勉」とか、適当に流れてくるニュース、アニメ、特にNHKの三月のライオンとかノイタミナ枠とかのあんまりネットでやってないやつ。今朝はプリキュアやってたみたいだけどリアルタイムでは観てない。7年ぶりに高校生プリキュアが誕生したらしく皆大騒ぎしてたのはTwitterで見た。

 あんまり子供時代にテレビ見て育ってこなかった。毎年繰り広げられるおもちゃ戦略を嫌う、というか何度も「そんなのは子供だましだからやめなさい」と繰り返す親の空気を敏感に察知したわたしは戦隊モノもウルトラマンも自らすすんで観ることがなかったため高校体育の剣道の授業では「ザ・体育会系」みたいな体育教師に竹刀を握らされながら一撃も繰り出さずに非暴力不服従を貫くマハトマ・ガンディーばりの平和主義者に育った。たぶんその反動というか、「世の子どもたちは何観て育ってるんだろう」という興味から子供向け番組をよく観てる。「デザインあ」が一番すごいと思う。えーっこれ観て今の子供育ってるの、20年後はみんな眼鏡にあごひげ生やしてロング丈のカーディガン着た「都内在住・デザイナー・27歳」みたいになっちゃうよ。そういう格好大好きだけど。三月のライオン実写版の高橋一生いいとおもいます。

 この間斎藤環の「承認をめぐる病」を読んでついにハッキリしたけど、ほんとうにいまの教室では「キャラ」で人間が存在しているというか、ギャラも出ないのにみんなバラエティ番組の真似事やってるな〜ということを高校のときはよく思ってた。関西だととくに吉本新喜劇の影響が支配的でほんとうに大変だ。大学に入ってから教室の風通しが抜群に良くなってだいぶ快適になったけど、それでもやっぱり誰かを「いじられキャラ」認定しようとする人間はいたし、でも文学部だったのが大きいのかもしれない、みんななんかそういうのに対するセンサーがあって距離を取る選択肢がぜんぜんふつうに存在してたところがよかった。

 「いじられキャラを生み出した罪」ってのは結局大きくて、「いじられキャラ芸人は結局そのポイントを商売道具にして飯食ってるからいいじゃないか」って人もいるけどそうじゃなくて、テレビ見てみんな育つからそのコンプレックスと別の付き合い方をしてるひとも容赦なく不本意な状況に晒されちゃうよな、と思っている。「いじめ」に対して「いじり」のほうが共犯関係にあってものごとが内面化されるぶんたいへん、といのは「りはめ」でしたね。トランプが好き勝手言うのが仮に戦略で演技で、大統領に就任してから落ち着きはしても巷の差別主義者が元気になっちゃってたいへん、というのに似ている。

 ところでこの間いろいろな大企業のちょっと変わった採用試験を紹介する、という番組をやっていて、「日本を支える企業に必要な才能は〜?」と言っていたのが気になった。能力じゃなくて才能。「潜在能力」なんて言い方もテレビ好きだけど、「頑張らなくてもなんとなく自分の中に黄金が眠っている」「俺にはあってアイツにはない」というニュアンスがひっそり出ていて、みんなが好きなものを提供できててイイカンジだな〜と思った。

 

 全体的に何がいいたいかがブレブレになってしまったけれど、FLOWの「GO!」をカラオケやアニクラで聴いてみんながワイワイしているのについていけなくて寂しい、というお話。

 

分解する・メイクマネー

 家の前の道路は大きい割に全然車が通らなくて、たまに超ゆっくり豆腐屋のトラックが通っていく。ぱー、ぷー、豆腐屋です。

 夕焼けと一緒に背景の効果音としてなんとなく使われがちな音、最近、というかうちの近所を徘徊してるやつの場合はラッパを吹くんじゃなくて豆腐屋のトラックに積まれたスピーカーから流れていて、近くで聞くとなんやけっこう音がでかいし耳にしんどい帯域がでていることがわかって、でもサンルームが暖かいからずっとそこで本読んだりブログ書いたりして、豆腐屋のトラックがゆっくりどっかに行くのを待つ。ぱー、ぷー。ぱー、ぷー。ぱー、ぷー。ぱー、ぷー。ぱー、ぷー。ぱー、ぷー。ぱー、ぷー。ぱー、ぷー。ぱー、ぷー。ぱー、ぷー。

 おとなりのお爺ちゃんがドエラい長い時間かけて買い物していた。

 フェノメナルという音楽を中心に色々な記事を取り扱ってるサイトの、いつだったかも読んだ、「トーフビーツが神戸大学の講義に呼ばれた」というお話を読み返した。トーフビーツのコラムだったりインタビューだったりは面白くて毎回チェックしているし、できることなら今回の話も聞きたかったなと思うというか神戸大学経営学部って高校時代の知り合いがおるやんけと思ったら本当にそいつっぽい奴が写真に映っていた。これ秘密な。

 「あんたは何がしたいねん」というお話で、つまり音楽を作ることと演奏することとプロデュースすることと売ることとそれを同人でやることと職業のためにやることと、というか単純に音楽のジャンルだけ考えてもたくさんあるし、それらはぜんぶ違う行為なんだよなやっぱり、というちょっと考えてみれば当たり前のことをやっぱりもう一回確認しておかないといけないっぽい。「クズの本懐」は今日放送分に追いついたけど、主人公のライバル役に皆川茜先生というハイパークソ女が登場している。

 クソ女というのは相手の都合を顧みず自分勝手に動くからクソ女なんだけど、自分勝手ということはつまりやりたいようにやっているということであり、「やりたいことが判然としている」という点を評価しないといけない。「恋愛」の因数分解。ひとを好く、好かれる、好きであることを伝える、伝えられる、物理的接触を試みる、物理的接触を試みたい対象として見られる、性欲と独占欲と承認欲求と嗜虐心エトセトラエトセトラ、ぜんぶ違うということを皆川先生はそれがわかっていて、じゃああたしはこれとこれが欲しいです、というのを絞って割り切って目標達成に一目散。利害関係で利になると思えばどんどん寄っていくわけです。


tofubeats(トーフビーツ)- STAKEHOLDER

君と利害関係したい。

 わかってるけどムズいのは、「あんたは何がしたいねん」を自分に問うことで、考えれば考えるほどわからなくなってくる。「これするのが好き」はあるけど「これしてお金稼ぐ」ことをわたし本当に好きになれるかしら。ぐるぐるぐるぐる考えすぎてしまうクセのあるわたしは「そんなんやってみーひんとわからんやんか」ということを言われがちである。せやけどな。

 こっちは反転した考え方のほうだけど、お金ないと死ぬし。キャッシュルールエヴィシンアランミー、クリーム!これはこれで重要なテーマというか、切迫感はこっちのほうが高い。

 如何せん自力でお金を稼いだ経験というのがほッとんどなくて、そのちょびっとの経験で赤の他人からお金を受け取る時特有の責任の重苦しさとかそういうのに結構やられちゃってるんだけど、なにはともあれそこから慣れていかないといけない気がしてて。2000字弱使って何を前置きしているのかと言えば、じゃあアフィリエイトとかいう横道からセコセコお金稼ぐ方法を一度試してみましょうか、ということなのでした。

卒業した

 本当は3月1日に始めようと思っていたけど、よく考えたら3月1日のことは3月1日が終わってしか書けないのだった。ほんで朝からNHK教育を眺めたり録りためてたアニメ「クズの本懐」を観て「セックスやな〜」と思ったり雑な昼飯を食べたりして今に至るというかそういうありさま。

 最初のエントリがわたしの話でなくて恐縮だけど、卒業した。

 たぶん全国的に公立高校の卒業式の日であっただろう3月1日に、その日を境に女子高生の肩書を失った人々のご多分に漏れず1998年生まれのうちの妹はおそらくその日まで一ヶ月近く御無沙汰だった高校に向かい、曰く「なんだかんだやたら感動的であった」らしい卒業式を終えたりその後彼女の友達とプリクラを撮ったりしてから家に帰ってきた。わたしと違って妹は目がぱっちり大きいのでプリクラで目を拡大されるとほんとうにお化けみたいになってウケる。

  おそらくこれを書くとバレる人にはバレる気がする、妹の高校はわたしの出身県内トップクラスの人気校だった。進学校でなく人気校で、つまり厳しすぎずゆるすぎない校風、帰りに遊べるところのある(田舎ではこれは貴重なことだ)立地の良さ、真ん中よりちょっと上、くらいのホドホドの偏差値。良くも悪くも、というより、どちらかと言えばいい「普通」が取りそろえてあり、高校なんて普通にしていれば卒業できるものだから(...そうじゃない人も若干名知っている)、そういった具合で「どこにでもいる普通の女子高生」だった妹は、普通に「どこにでもいる普通の女子高生」から脱出した。

 普…あまねく

 通…とおる、いきわたる

 「毎日同じ部屋に、同じ時間に、同じ人たちが集合する」のってハタから観るとけっこう奇妙に見える気がするけど、「日々の繰り返し」と「みんながやっているから」という膨大なサンプル数の中に普く通きわたる共通項を見出している彼らにとってそれはめちゃめちゃ強固に踏み固められた「普通の日々」で、ところがそれにはタイムリミットがあって、ニンゲンは空を飛べないから蹴り出される前にどうにか次に着地できそうな「普通」を見つけておかないといけない。うちの妹はまだ次の着地点を確定できてなくて未だに過去問題集と格闘してる。卒業式から新学期までのあのふわふわ感は本当に宙を飛んでいたからだなたぶん、とわたしも数年前をおもいかえすものだったけど当時のわたしはパンクだったので卒業式をサボったのでした。

 

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▲彼女は卒業せずに留年し続けるので普通に安定感があるけど、そもそも高校生が留年するのって普通じゃなくないですか

 

 もう物心付くまえからの友達がわたしには二人いて、同い年なんだけどいろいろあって学年がひとつ下ともうひとつ下になっててわたしが一番先輩になってしまって、でも「いろいろ」の中味がふたりともなかなか普通ではできないオモシロイ経験なもんだから人はホントに年食うだけじゃエラくなれんのだなという気もちだけれど、そうこうしているうちにいちばんエラくないわたしにつぎの普通を見つけておかないといけないタイミングがやってきたっぽいぞ、という様子です、3月1日。